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2009/01/04

回想:音楽詩劇『朝日に舞う黒鳥』

2005年11月17日のことである。私は、東京日仏学院エスパス・イマージュにおける音楽詩劇『朝日に舞う黒鳥』初演の場に居合わせる幸運を得た。

作曲は現代音楽の注目すべき作曲家として最若手に属するであろう川島素晴、ソプラノは太田真紀、バリトンは松平敬、ピアノは作曲者自身という出演構成である。クローデルのテクストによる作・構成は上田木綿子。

 これは徹頭徹尾シリアスかつ感銘深い作品であり、「生半可な言葉で感想を言い表すことはできない。安易な「評」をでっちあげることはしたくない。あの作品が私の胸の中深く熟成し、自ずと反応が生起してくるのを待ちたい」、という気持ちを強く持ったが、ここでひとまず感想をまとめてみたいと思う。

 私自身が、思春期の危機的な時期に象徴的・超現実的な近現代詩を読み、また書くということに思いに駆られていたこともあり、クローデルという人の生涯を、あのようにすぐれて詩的かつ劇的なかたちで伝達されたことは、私にとってはきわめて「個人的な体験」となるにまで至ったのだ。

『朝日に舞う黒鳥』を観るまでの私にとって、クローデルといえば、オネゲルの劇的オラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』の台本作者であるとかいった程度の知識しか持ち合わせていなかった私にとって、その衝撃はいっそう大きなものであった。

 一人のピアニストと二人の声楽家が現代的奏法を駆使して綴る一人の外交官/詩人の生涯の回想の舞台は、上質なセンチメントと神秘的な暗喩の世界へ、観る者を誘うに充分な効果を発揮していた。

 クライマックスにおける、ピアノが壊れるかと思うほどの激しい打鍵の音の洪水に、歌手二人の熱のこもった歌や語りがかき消されてしまう感があるのは、少し残念かとも思ったが、この作品の台本に書かれた言葉を、歌手のすぐれて特殊な唱法や、疾走するように素早い語りを通じて、全て日本語として正確に聞き取ることはもともと不可能な面もあるだろうことを考えれば、この作品における「声」の存在は、言葉の内容が聞き取れないシーンにおいては、美術でいう「オブジェ」的役割を果たすものとして捉えられるべきだと考えた。美しく貴重なスライド写真の数々と、あの日会場に集った聴衆がある程度前提として持っていたと想定される知識が、それを補ったことだろう。
(文中敬称略)

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