僕の嫌いな音楽評論家・仏教者
音楽と仏教の両方を愛好する僕が以前から感じていることを正直に述べる。
僕の嫌いな音楽評論家は宇野功芳である。
僕の嫌いな仏教者はA・スマナサーラである。
2人の間には共通点があるように思えてならない。
その独善性と排他性である。
僕は、宇野功芳に騙されたことを心から悔やんでいる。
A・スマナサーラには洗脳される前に縁を切った。
音楽評論家として必要な品性というものがある。
仏教者として必要な品性というものがある。
彼らには、それが欠けている。
彼らは正統性を標榜しているが、その実、自らを権威付けるために、ブッダやモーツァルトを利用しているにすぎない。モーツァルトは確かに偉大な音楽家だ、しかし、宇野は駄目な音楽評論家の見本だ。上座部仏教は確かに偉大な仏教だ、しかし、スマナサーラは駄目な仏教者の見本だ。
彼らの言説が人気を呼ぶのは、その断言口調が分かりやすいためであろうが、愚かな大衆というものは、えてして分かりやすい断言口調に騙されやすいものである。そしてその言説に含まれるカルト性に気付きにくいものである。
逆に、僕が尊敬に値すると思う音楽評論家と仏教者の例を挙げてみよう。
音楽評論家では吉田秀和、仏教者ではダライ・ラマが代表格として挙げられよう。2人に共通するのは、心の広い知識人であり、人の心を傷つけないデリカシーを備えているという点である。
皆さん、悪貨が良貨を駆逐しないよう、くれぐれもお気を付けください。
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