2009/11/03

マイコーの映画。

『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』を観てきた。

マイコー最後の公演に向けて世界一流のスタッフたちが集結するさまが感動的に描かれていた。

僕はポップス音楽のことはよくわからないが、マイコーがクインシー・ジョーンズと組んでたころの楽曲は特に好きだ。そして彼のダンスが特別なのは、パントマイムの要素を取り入れていたからだと思う。

――ムーンウォークの着想はマルセル・マルソーのパントマイムとハーレムのダンスから 国際ニュース AFPBB News
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2615619/4310120

それから、彼には人類愛や環境問題をテーマに取り組んだ仕事があり、平和主義者としての一面があるのであるが、それがあの奇抜な舞台や、さまざまなスキャンダルの陰に隠れているところがあるんではないかと思う。

Wikipediaによれば、彼はノーベル平和賞にノミネートされたことがあるそうだが、半分冗談かと思った。ちんこを押さえてポーとかやってる姿と、世界平和のために活動する姿との間にはギャップがあるのではないか。

とにかく、リオタールが指摘したように、彼はいろんな意味において両義的な存在であった。

今回のこの映画は、彼のファンのために製作されたもののはずだが、それを観に行った僕自身は、マイコーのファンなのか、単なる傍観者にすぎないのか、いまだよくわからないでいるのである。

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2009/10/23

僕の嫌いな音楽評論家・仏教者

音楽と仏教の両方を愛好する僕が以前から感じていることを正直に述べる。

僕の嫌いな音楽評論家は宇野功芳である。

僕の嫌いな仏教者はA・スマナサーラである。

2人の間には共通点があるように思えてならない。
その独善性と排他性である。

僕は、宇野功芳に騙されたことを心から悔やんでいる。
A・スマナサーラには洗脳される前に縁を切った。

音楽評論家として必要な品性というものがある。
仏教者として必要な品性というものがある。
彼らには、それが欠けている。

彼らは正統性を標榜しているが、その実、自らを権威付けるために、ブッダやモーツァルトを利用しているにすぎない。モーツァルトは確かに偉大な音楽家だ、しかし、宇野は駄目な音楽評論家の見本だ。上座部仏教は確かに偉大な仏教だ、しかし、スマナサーラは駄目な仏教者の見本だ。

彼らの言説が人気を呼ぶのは、その断言口調が分かりやすいためであろうが、愚かな大衆というものは、えてして分かりやすい断言口調に騙されやすいものである。そしてその言説に含まれるカルト性に気付きにくいものである。

逆に、僕が尊敬に値すると思う音楽評論家と仏教者の例を挙げてみよう。
音楽評論家では吉田秀和、仏教者ではダライ・ラマが代表格として挙げられよう。2人に共通するのは、心の広い知識人であり、人の心を傷つけないデリカシーを備えているという点である。

皆さん、悪貨が良貨を駆逐しないよう、くれぐれもお気を付けください。

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2009/09/05

中森明菜 TATOO

昨夜、眠りにつく直前、脳みその奥から聴こえてきた音楽。
なんだこりゃ~。
なんだったっけな~。
これは、『TATOO』とかいうんじゃなかったっけか?
歌手は誰? えーと、中森明菜?
明日になったら調べよう。

というわけで、さっき検索したら、ありましたよ。
これは名曲だと思うが、なんで今ごろこの曲を思い出すのかがよく分からない。

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2009/07/19

マイコーとレニー

0609michaeljackson1650_2

これだ、これだ。マイケル・ジャクソンとレナード・バーンスタインが一緒に写った貴重な写真だ。ちなみに左端に写っているのはクインシー・ジョーンズだそうだ。

ソースはこのブログ。もう一枚、カラー写真があり、いろいろと詳しいことも書かれてある。
1986年8月、ロサンゼルスにて、バーンスタインの方からマイコーに会いたいと言って実現したそうだ。

'80年代アメリカ音楽シーンの絶頂期を象徴する一枚。

 

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2009/06/30

【タモリ】マイコー追悼【とんねるず】

私は「BAD」の歌い出しが「Your Buddhist mind」に聴こえて仕方なかったのですが、実は「Your butt is mine」と歌っているのですね。合掌。

空耳アワー

おかげです

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2009/06/26

マイコー死亡

マイケル・ジャクソンさん死去…ロサンゼルス自宅で倒れる

レナード・バーンスタインと、マイコーと、あともうひとり誰だか忘れたが、一緒に写った写真があったのが印象に残っている。

僕が中学生の頃、つまり80年代末に、彼はキャリアの頂点を築き上げていたようだ。

ただ単にかっこいいというだけではなく、パフォーマンスが面白いというか、客観的に見ると笑えるという皮肉な視線を送っていたのではあるが、それなりに友達の間で流行ったものだ。

友人宅で、マイコーのビデオを見ながら、ゲラゲラ腹を抱えて笑っていた思い出がある。どっちかというと笑いのネタとして流行っていた。

顔はどう見ても整形しているが、色が白くなっていったのは病気だったらしい。

その後はスキャンダラスな報道が続いてどんどんイメージダウンしていったが、彼がかっこよかった時期は確かに一時期あった。

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2009/04/01

モーツァルトは、とてつもない。

それは、シャーンドル・ヴェーグ指揮するモーツァルト「セレナーデ&ディヴェルティメント集」10枚組を聴き終えた頃だったと思う。僕は日記にこう書き記している。
「3/22
超巨大な魂の語り、絶対精神の霊姿。モーツァルトに教えられた。」

こうして改めてモーツァルトのすごさに気付かされると、他の作曲家のどこがすごいのかさっぱり分からなくなる。
モーツァルトほど偉大な作曲家はいません。モーツァルト以外に感動できる音楽はありません。
そんな困った状況がしばらく続きそうである。

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2009/03/26

三大古典派作曲家を三大ギリシャ哲学者に例えるなら

ハイドン→ソクラテス
モーツァルト→プラトン
ベートーヴェン→アリストテレス

…という気がしないでもない。

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2009/01/10

ブラームス

私は、性格的に破綻していた高校~大学時代はマーラーに傾倒していたが、大学で論理や形式の重要さを思い知らされ、さらに卒業後、社会人としての経験を積まされてからは、しだいにブラームスを味わうようになっていった。

マーラーに比べれば、ブラームスの作品は古典的であり、形式的彫琢の度合いが高い。しかしながら、それでいて内面的なエロスというか情念は、その卓越した形式の中に封じ込められ、燃焼し続けているのである。その熱さ・暗さたるや、マーラーに劣るものではない。

私は今でもマーラーは好きだが、ブラームスも聴けるようになったのは30代になってからだ。10~20代の私は芸術的にもコミュニケーション的にも形式的破綻を喜ぶようなところがあったから、ブラームスなんて退屈で聴けなかった。しかし、これからはブラームスも、大切な心の友のひとりとなるであろう。

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2009/01/04

回想:音楽詩劇『朝日に舞う黒鳥』

2005年11月17日のことである。私は、東京日仏学院エスパス・イマージュにおける音楽詩劇『朝日に舞う黒鳥』初演の場に居合わせる幸運を得た。

作曲は現代音楽の注目すべき作曲家として最若手に属するであろう川島素晴、ソプラノは太田真紀、バリトンは松平敬、ピアノは作曲者自身という出演構成である。クローデルのテクストによる作・構成は上田木綿子。

 これは徹頭徹尾シリアスかつ感銘深い作品であり、「生半可な言葉で感想を言い表すことはできない。安易な「評」をでっちあげることはしたくない。あの作品が私の胸の中深く熟成し、自ずと反応が生起してくるのを待ちたい」、という気持ちを強く持ったが、ここでひとまず感想をまとめてみたいと思う。

 私自身が、思春期の危機的な時期に象徴的・超現実的な近現代詩を読み、また書くということに思いに駆られていたこともあり、クローデルという人の生涯を、あのようにすぐれて詩的かつ劇的なかたちで伝達されたことは、私にとってはきわめて「個人的な体験」となるにまで至ったのだ。

『朝日に舞う黒鳥』を観るまでの私にとって、クローデルといえば、オネゲルの劇的オラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』の台本作者であるとかいった程度の知識しか持ち合わせていなかった私にとって、その衝撃はいっそう大きなものであった。

 一人のピアニストと二人の声楽家が現代的奏法を駆使して綴る一人の外交官/詩人の生涯の回想の舞台は、上質なセンチメントと神秘的な暗喩の世界へ、観る者を誘うに充分な効果を発揮していた。

 クライマックスにおける、ピアノが壊れるかと思うほどの激しい打鍵の音の洪水に、歌手二人の熱のこもった歌や語りがかき消されてしまう感があるのは、少し残念かとも思ったが、この作品の台本に書かれた言葉を、歌手のすぐれて特殊な唱法や、疾走するように素早い語りを通じて、全て日本語として正確に聞き取ることはもともと不可能な面もあるだろうことを考えれば、この作品における「声」の存在は、言葉の内容が聞き取れないシーンにおいては、美術でいう「オブジェ」的役割を果たすものとして捉えられるべきだと考えた。美しく貴重なスライド写真の数々と、あの日会場に集った聴衆がある程度前提として持っていたと想定される知識が、それを補ったことだろう。
(文中敬称略)

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クラシックCDの売り上げ、どのくらい落ちてる?

音楽CDの販売がピーク時の約半分に減っているという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090102-00000009-jij-int
 【シリコンバレー1日時事】米調査会社ニールセンが発表した2008年の同国のCDアルバム販売枚数は、前年比14%減の4億2840万枚にとどまり、91年の統計開始以来の最低記録を更新した。ピーク時の00年の7億8510万枚からは45%減となる。インターネットを経由したダウンロード販売の攻勢に加え、200万枚超のヒット作が半減するなど、景気低迷の影響も見られた。
 08年のネット経由のアルバム販売は32%増、6580万枚に達した。 
-----------------------------------------------------------

が、クラシックCDに限定しても、音楽CDの売り上げはピーク時の約半分に減っているのであろうか?
私の想像では、クラシック音楽ファンは、他ジャンルの音楽ファンに比べて、より高い音質や、手に取って見られるモノにこだわるのではないかと思う。ダウンロードしたMP3音源に満足できないクラシック・ファンも多いのでは?
とすれば、クラシックCDに限定した売り上げの統計がほしいところである。
クラシック音楽というジャンルは、CD販売の最後の砦になるのではないかと私は思う。

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2008/12/30

ブラームスの交響曲全集 ザンデルリンク新旧録音比較

ブラームスの交響曲全集に関して言えば、ベルリン響を振ったザンデルリンクの新盤はだめである。シュターツカペレ・ドレスデンを振った旧盤が、ブラームスそのものが伝わってくる迫真の演奏なのに対して、新盤はブラームスがストレートに伝わってこない重苦しい演奏である。ブラームスそのものよりも、晩年のザンデルリンクを聴かされているとでも言おうか。
壮年期のザンデルリンクは、無私に曲そのものの魅力を旧東ドイツのオケから引き出す名人だったと思うが、晩年になって、彼に特徴的な絶妙のオーケストラ・コントロールを失い、覇気をも失って鈍重になってしまった。
例えば、バーンスタインは、齢を重ねる毎に新しい境地を開拓し、気宇壮大なオーラを放つ解釈の深まりを示す天才指揮者だった。ゆえにバーンスタイン晩年のテンポの遅さには必然性が感じられるが、ザンデルリンクが齢を重ねてテンポを遅く取るようになっても、そこにはオーラが顕現せず、ただ単に鈍重に感じられるのである。重厚壮大ではあるが、真に胸に迫るものがないのだ。
ザンデルリンクのブラームス交響曲全集の旧盤は、DENONクレスト1000シリーズのリマスターなら、Capriccioのデジタル録音による新盤と比べて音質面でも遜色がない。オケの優秀さがそれを手伝っている。
これは旧盤と新盤の両方を揃える必要はない。旧盤だけで十分である。だいいち、新盤はCapriccioというドイツのレーベルが倒産すると同時に、すでに廃盤になっている。
思うにあの新盤は、Capriccioが倒産しなくても、いずれ廃盤になっていただろう。

旧盤(推薦)
   

新盤(推薦しません)

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2008/12/28

アルミ製のフルートって出来ないのか?

前から新しいフルートが欲しいと思っているのだが、本当に欲しいものはどれも高くてなかなか手が出せない。
フルートは銀、金、プラチナといった貴金属から作られるので、原価も高い。
そこでだ。アルミニウムから作られたフルートって、あるとすればいくらぐらいするのだろうか。

アルミは鉄よりは高いそうだが、重さは鉄の3分の1。軽量フルート、試してみたい。
もしも実現したら、どんな音がするのかな? ガラス製フルートもあるくらいだから、全く鳴らないということはあるまい。
誰か作ってくれないかな。

ここでぐぐってみた。アルミのフルート、特殊なもの(アイリッシュフルート等)があるにはあるが、腐食しやすい・組み立てにくい等の理由から、アルミは本格的なクラシック音楽の管楽器の材料としては採用されないのだそうだ。音質や耐久力に優れているなら、別に高価な貴金属を使わなくてもフルートを作ることはできるのではないかと思ったのだが、やはりそう簡単にはいかないらしい。貴金属を使うのには、それなりの理由がある。

しかたない、貯金しよう…。

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2008/10/18

坂本龍一がナウシカをアレンジ?

と言ってもイメージソングであるが、このアレンジはいいな。

↓Ryuichi Sakamoto + Takako Minekawa - Hosono Tribute

・ナウシカのイメージソングは細野晴臣作曲。
・細野晴臣の過去の楽曲で、坂本龍一がお気に入りなのは『風の谷のナウシカ』。
・映画『風の谷のナウシカ』の音楽は、最初は細野晴臣が手がける予定だったが、宮崎監督の意向で久石譲に変更された。
・坂本龍一がジブリ美術館を訪れたという記事をどこかで読んだ記憶がある。
・久石譲の音楽性と宮崎駿の作家性は、基本的に生命肯定的で、自然のものや、美しいものへの憧れを包み隠すことなく表出するところなど、多くの共通点がある。久石譲とは対照的に内省的な音楽性の持ち主である坂本龍一が宮崎アニメの曲を書いたらどうなるであろうか。なんとなくミスマッチになりそうな気が…。

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2008/10/14

な、ナウシカ…。

自分でもなぜだかよくわかりませんが、最近『風の谷のナウシカ』のサントラにはまっています。あの悲壮で不条理な感覚がたまらなくいい!

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2008/09/06

【金曜ロードショー】かっこいいOPテーマ曲【謎の男】

金曜ロードショーのオープニングテーマ曲は、久石譲が作曲した今のものも悪くはないが、あまり耳に残らない。

耳に残るオープニングテーマ曲と言えば、やはり旧バージョンのこれだ。

Wikipediaによれば、ピエール・ポルト&ヒズ・オーケストラ、「フライデー・ナイト・ファンタジー」という曲らしい。

夕日の海辺に向かって佇むメガネの男が誰なのかということについては、諸説あるようだが、僕に言わせればこれはどう見ても藤子不二雄の漫画によく出てくる「小池さん」である。

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2008/08/20

オネゲルワッショイ!!

先日は、出張先の会社内でオリジナルのおにぎりを作るイベントが開かれており、僕も参加させてもらった。自分で2個握って食べたので、昼食代が浮いたことは言うまでもない。

さて、おにぎりと言えばオネゲルである。HMVで廃盤扱いになっている、プラッソン指揮の交響曲全集(第1~5番)を先日中古屋で発見、即買いして聴いてみた。
演奏自体は期待をそれほど上回るものではなかったが、久しぶりに全曲通して聴いて改めて感銘を受けた。特に4番の魅力に気付くことができたのは収穫だった。僕は今まで宗教的な3番や、死んだも同然な5番の魅力にとりつかれていたが、4番の自然への愛情はオネゲルの「田園交響曲」として、3番や5番に劣らぬ魅力を備えている。

まことにオネゲルは、マーラー、ショスタコーヴィチ、バルトーク等に比肩する大作曲家なのだが、彼の作品はなぜか実演で取り上げられる機会に乏しいように思われる。N響アワー等の番組でもオネゲルの交響曲をやっているのを見たことがない。「パシフィック231」とか「ラグビー」とかだったらあったかもしれないが…。なぜ日本のオーケストラや合唱団は、オネゲルの交響曲や声楽曲の傑作をもっと盛んにやらないのだろう?

もっと取り上げてほしいものである。この5曲にはそれだけの価値がある。ブラームスやシューマンの4曲と同じくらいの深い精神的価値である。 ショスタコ専門の日本のアマオケ「オーケストラ・ダスビダーニャ」のような例もあるではないか。

ショスタコーヴィチといえば、マーラーに傾倒していたことはけっこう知られていると思うが、オネゲルにも共感していたらしく、オネゲルの交響曲第3番「典礼風」を4手ピアノ用に編曲しているらしい。
http://www.envi.osakafu-u.ac.jp/develp/staff/kudo/dsch/op.html
これもぜひ一度聴いてみたいものである。もしも僕が大金持ちの音楽プロデューサーだったら、自腹を切ってコンサートを開き、録音させたいところだ。この曲は、マーラーの交響曲第9番や『大地の歌』と並び、僕のしょーもない青春時代の挽歌として在ったのだ。さようなら、非現実的な夢を見ていたころの自分。今でも時々しょーもない妄想はするけど。

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2008/01/29

GUSTAV MAHLER: SYMPHONIE NR. 9

久遠宇宙の彼方で愛の海に溺れて死んでしまう音楽。

15年以上聴き続けているが、聴けば聴くほど深い。音楽でここまで行くか!というほど深い。本当に音の向こうに愛の宇宙が見えてきて驚く。

普段からこの曲のことを思い出すだけで目頭が熱くなる。まったく哀切極まりなくも崇高なる音楽だ。

この感動を稚拙な言葉でしか表現できない自分がもどかしい。

私は、ひとつの偉大な魂に黙祷を捧げなければならない。

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2008/01/15

Rhydhun Beta (The Indian Jukebox)

Rhydhun という新しいインド音楽配信サービスが始まった。
http://rhydhun.musicindiaonline.com/
サインアップすると、専用のプレイヤーをダウンロードして、大量のインド音楽が高音質で聴けるようになる。広告も入らない。

今のところはβバージョンで無料だが、開発者は将来的には有料にしたいらしく、サインアップするときに、有料サービスに興味があるか、あるとすれば月いくらくらい払う気があるか、アンケートを取られる。

もともとは Music India OnLine というサイトがあって、僕は以前こちらにサインアップしていた。Rhydhun 開始のお知らせがメールで来たのもたぶんそのせいだ。
http://www.musicindiaonline.com/
ここも大量のインド音楽が無料で聴けるのだが、音質はあまりよくないし、広告も入る。

Rhydhun は無料の間に楽しんでおこう。いや、広告が入ってもいいから、ずっと無料だといいな。

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2007/12/14

ライヒの音楽

スティーブ・ライヒの音楽は、ドラッグか何かやって別次元にトリップするかのような、不思議な感覚を引き起こす。これは普段クラシックを聴かない人の心をもつかむのではなかろうか。
それにしてもライヒのすごいところは、エンドレスな官能性が卓越した知性に裏付けられているところだ。ハイカルチャーとカウンターカルチャーの垣根を易々と突破してしまうそのセンスは、単純性と複雑性の高次の統合の産物と言える。
ミニマル・ミュージックの作曲家たちの中でも特に傑出した才能である。

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2007/11/21

初音ミク、バッハを歌う

初音ミク」という「萌え」系音声合成DTMソフトが人気を博しているようですが、それを使ってバッハの「小フーガ ト短調」に日本語の歌詞をつけた人がいます。その歌詞というのが、ちょっと今の僕にとっては痛いものだったのであげてみますね(YouTube)。

この動画の作者、taroza12345さんのページ。
http://jp.youtube.com/user/taroza12345
「萌え」っぽくアレンジしたクラシック曲がいろいろ聴けます。
http://jp.youtube.com/profile_videos?user=taroza12345&p=r

実は、「萌える」オタク文化に「萌えない」私ですが、次の作品はネタ的におもしろいと思ったのであげてみます。

早口いろは歌「熊蜂の飛行」

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2007/10/18

チェリのベートーヴェン

チェリビダッケ(略称チェリ)/ミュンヘン・フィルにベートーヴェンの交響曲集がある(EMI)。
以前そのCD6枚を買い揃えておいて、あまりよく聴かずにいた。

そこで今朝エロイカ(交響曲第3番)を聴いてみたのだが、「指揮者の音色でつるつると滑らかに仕上げました、どうぞ。」ただそれだけの感じであまり面白くなかった。これでもベートーヴェンか、という気がした。

私は昨夜クレンペラーの魅力に目覚めたばかりなのだが、それはクレンペラーを聴きこんだ結果である。
チェリも、聴きこめばクレンペラーみたいな深みが味わえるようになるのだろうか?それともチェリにはクレンペラーのような深みはないのだろうか?

某掲示板でこの質問を投げかけたところ、「深みはないかもしれないけど高さはあるかも」というコメントがあった。
確かに深みを目指すというよりは高みを目指すというふうな演奏スタイルだ。しかしベートーヴェン演奏にこのスタイルを適用するのはどうか。

第7番冒頭の強奏をわざと柔らかく美しく演奏している。
ブルックナーかなにか別の作品を始めようとしているかのようである。この美学をベートーヴェンに持ってくるのは的外れのような気がする。

同じコンビの、ハイドン104番やシューベルトの第9はこれでも気にならなかった。
モーツァルト40番は未聴だが、このスタイルでもいけるかもしれない。
だからこそ、古典派からロマン派への系譜上に位置するベートーヴェンの交響曲の、彼らによる演奏に期待してCDを揃えたわけだが、久しぶりに腰を据えて聴き直してみたらなんだこりゃ?である。

ベートーヴェンの交響曲における強奏部には衝撃的な音がどうしても必要だと思う。ただバカでかい音を出せばいいというものでもないが、強奏すべきところは強奏しないと、ベートーヴェンの意図に反して、聴く者の心をとらえないと思う。

それにしてもあの、美音につぐ美音はいったい何なのだ。

カラヤン以上の耽美主義的ナルシシズムではないのか、これは?
エロイカ全曲や第7番第1楽章など、今日聴いた限りのああいう演奏では、ベートーヴェンそのものが聴こえてこないのではないか。そう思った。

ちなみにチェリのベートーヴェン交響曲のCDでは、どういうわけか第1番が欠けているのも気に入らない。全部で6枚もあるのに、交響曲全集になっていないのである。

※この記事はクラシック@2ch掲示板に私が書き込んだレスをもとに作成しました。

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2007/08/08

元ちとせ『死んだ女の子』

こんばんは、坂本龍一です(嘘)。

私の尊敬する武満徹さんに『死んだ男の残したものは』という歌がありましたが、今宵は元ちとせさんの歌で『死んだ女の子』を流させていただきたいと思います。
今日は8月8日です。おとといはヒロシマでした。あしたはナガサキです。
それではYouTubeからどうぞ。

いかにもNEWS23、といってしまえばそれまでですが、私はこの動画を見るたびに泣けてしかたがありません。どうすればいいいのでしょうか?

※この記事の初出はmixi日記です。

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2007/07/17

指揮者・いかりや長介

故・いかりや長介が、ドリフ大爆笑の中で、吹奏楽団の指揮をしたり、主要な楽器を紹介したりするという貴重な映像をYouTubeで見た(以下)。

そういえば、かつて作曲家の川島素晴氏が、ある作品の締め括りで、トランペットに「だめだこりゃ」の模倣をさせていたりしたが、その部分について、プログラムノートには確かこんなふうに書かれていたと思う。
「(最後の部分は)先ごろ亡くなった偉大なコメディアンへのオマージュである。」

川島氏のこの作品を3年前に聴いた時は、さすがの僕にもネタとしか思えなかったのであるが、今回このビデオを見て、なるほど確かにいかりや長介は偉大なコメディアンであり、川島氏の意図したところもまんざらではなかった、と考えを改めるに至ったのであった。

※この記事の初出はmixi日記です。

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2007/05/31

目白バ・ロック音楽祭2007

明日から目白バ・ロック音楽祭2007が始まります。

公式ブログ(日本語/英語)がスタートしました。
http://mejilog.exblog.jp/
http://barock2007.exblog.jp/

今年は私も日本語の公式ブロガーとして参加いたします。
ブログともども、音楽祭をよろしくお願い申し上げます。

mixiコミュニティ
目白バ・ロック音楽祭

※この記事の初出はmixi日記です。

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2007/05/13

ロック de クラシック

クラシック曲をエレキギターでロックンロールに弾きこなす人。実は僕はこの手のものがけっこう好きだったりします。
youtubeにはそんなネタが豊富に置いてあり、面白いです。

カッコイイでしょ?

※この記事の初出はmixi日記です。

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2007/05/06

音楽的感性の亢進について

誰でもそうなのだが優れた音楽を聴くと興奮してしまう。そして私は気付いたのであるが、音楽的感性が鋭くなっているときは、精神分析学的にいうところの「リビドー」が活性化している。リビドー概念は、フロイトにおいてはほとんど性欲と同じ意味らしいが、ユングにおいては単なる性欲の意味ではなくもっと普遍的な精神エネルギーのようなものを指すらしい。しかしユング的リビドーにおいても身体性が否定されるわけではないと思うのだが、いかがであろうか。

さてペンデレツキの『ポーランド・レクイエム』は私にとってはひさしぶりにこの興奮に値するすごい音楽である。ちょっととっつきにくいところはある。聴き手に媚びるような甘っちょろい要素はあまりない不機嫌な音楽である。しかし、自分の音楽的感性が活性化している時に聴くと、なるほどペンデレツキというのはやはり巨匠なのだと恐れ入ることになる。

私の体験をもっと視覚的に表現するなら、口の大きなワニ(笑)にぱっくりと飲み込まれて(かなりの迫力)、そのまま消化されるのだけれども、ワニも無重力空間において生命体の原型に回帰し、やがてはひとつのまるい細胞――マクロの次元で言う「惑星」のような存在になる。そして聴き手はその惑星と臍の緒でつながっており、ここに瞑想的空間が出現する。こんな具合である。

コンパクトディスクの存在はありがたい。一度聴いて疑問に思った曲でも、機が熟して再聴するとき、疑問が一気に氷解する、そんな経験を私は何度もしている。こうして音楽理解の一助を得て楽しみながら学んでいくことができるのは、現代人に与えられた恵みのひとつであると言ってよいだろう。

※この記事の初出はmixi日記です。

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2006/10/29

経済効果としてのSHINJOと「のだめ」

プロ野球もクラシック音楽も、マンネリ化すれば興行収入が落ちるに決まっている。

昨日聞いたニュースによれば、日ハム優勝が北海道にもたらした経済効果は222億円という。ここにおいて、日ハムを名実ともにリードしてきた男、SHINJOの存在は大きいに違いない。

さて、音大生たちが主人公の某人気マンガが先日TVドラマ化されたことは記憶に新しい。
そのTVドラマに主演する若手俳優たちの写真を、某クラシック音楽誌の表紙に使用したところ、やはり売り上げが伸びたという。

これは、SHINJOのパフォーマンスが日ハムにとっての付加価値(+α)であったのと同じようなことが言えるのではないか。
たしかに「クラシック音楽がテーマのラブコメ」というのは類例がなく、TV化されることによっていっそう人気を博し、クラシック音楽のCM効果を生んだことは注目に値する。

野球(あるいはクラシック)と一見関係ないかのようなパフォーマンスで、けっきょくは名実ともにファンの心を掴んでしまうことができるなら、それは彼らの勝利であるにはちがいない。

考えてみると、これまでクラシック音楽誌の表紙の人物写真には、クラシック演奏家の写真ばかりが使われてきた。

クラシック演奏家というのは、実力がものをいう世界である。顔の美醜や身体のスタイルの良し悪しは、コンクール出場者やアーティストとしての評価の基準には含まれない(はずである)。
彼らの理想は、芸術の創造にある。外観の美を競うのではない。

だが、考えてみればクラシック音楽だって、マネジメントがお客さんを集めて、アーティストの「芸」を見せ、感動させる事業(=商売)であるという点において、いわゆる「エンタテイメント」と変わりはない。では、クラシックは、TVドラマやJ-POP等の「エンタテイメント」と何が異なるのであろうか?

簡単に言えば、見た目の美しさや好感度の高さがものをいうタレント業界や、ノリが良く視覚的にも派手な音楽を大量に配信するJ-POP等とは異なる、一種「アカデミック」な価値観を基準とした「エンタテイメント」の世界、それがクラシック音楽ではなかろうか。少なくとも僕はそう理解してきた。

…しかし、どんな優れた才能の持ち主であっても、それでメシが食えるようにならなければ、プロとは言えないのであって……


(思考停止状態になったので、ここで筆をおきます。)

※この記事の初出はmixi日記です。

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2006/07/25

エレキ・バッハ

一風変わったエレキギターでJ.S.バッハの曲を一所懸命弾く外人兄ちゃんの動画がYouTubeで手軽に見られる。この人、ネットの人気者なのだろうか?何だかよくわらかないけどおもしろいのでここにまとめて置く。

BWW 848 - J.S. Bach - by Adam Fulara
Goldberg Variation No. 1 - Adam Fulara
Goldberg Variation no. 1 - Adam Fulara - www.adam.fulara.com
Adam Fulara - Goldberg Variation No. 2 (by J. S. Bach)

弾いてるときの顔の表情など観察しながら聴くとさらにおもしろい。
ちなみに「Adam Fulara」ってAmazon.comで検索しても一件もヒットしない。
このさいだから、公式サイトをちょこっと見てみることにした。

Biography―Adam Fulara―ポーランド人。大学(ポーランドの名門)ではソフトウェア工学を専攻した。ギターを始めた当初はロックを演奏していた。
学生時代、ポリフォニックなバッハ作品を好んで勉強したが、普通のギター奏法ではバッハ作品のピアノ譜を完全には弾けなかった。しかし、two-hand tapping technique を採用してからは、ちゃんと弾けるようになった。以来10年間このテクニックを使っている。
現在は、ジャズ・トリオと組んでジャズや自作品を演奏しているが、クラシック音楽もやる。バッハやショパンやベートーヴェンを好んで聴くが、将来はバッハの曲だけで演奏したい。――

おおよそこんなところらしい。だいたい僕と同じくらいの年齢の人みたいで、何となく親近感をおぼえた。がんばれ、アダム。

※この記事の初出はmixi日記です。

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2006/05/23

自然が語りかけるもの

自然の静寂が語りかけるものに耳をすますこと、そこからほんとうの思想や音楽が生まれてくるのかもしれません。

恩師、I先生の記事を読みながら、仏典の風景が思い浮かんできました。と同時に、自然や小鳥たちと交流した20世紀の作曲家たちのことを思い出しました。

西洋ににもまた、自然界の響きと交流する能力を有した作曲家たちがおりました。ベートーヴェンが交響曲第6番《田園》を作曲した際のエピソードは有名ですが、20世紀フランスにはオリヴィエ・メシアンという大作曲家が出ました。

彼の業績の中でも有名かつ特筆すべきは、世界各地の小鳥たちの声を採譜し、それにもとづいた作曲を行ったことです。現代音楽の理論にもとづいた前衛的作風ながら、小鳥たちのさえずりに彩られたその音楽は、カトリックだった彼の宗教性を反映しながら、自然界の響きが木霊し、幻想とモダニズムが共存する独特な魅力を有していますが、それはロマン主義的過剰さと論理実証主義的厳格さとを、包括しながら超越する、静寂の世界だったのです。

メシアンが日本を訪れた際、或る場所で彼のピアノ演奏を披露する機会があった。彼が弾き始めてしばらくすると、その音に共鳴した小鳥たちが窓際に降りてきた、という伝説すら残っています。

軽井沢を訪れたメシアンは、日本の小鳥たちの声に熱心に耳を傾けていました。彼は「音楽がもたらす平和」を信じていたようですが、ここでの「音楽」とは狭義のクラシック音楽現代音楽のことのみを指すとは私は思いません。またインド音楽や雅楽をも研究した彼は、カトリックの作曲家といっても、狭い了見の持ち主ではなかったはず。

こんにち、都会の喧騒や森林の伐採などに踏みにじられ、埋もれてしまいがちな自然の「」ですが、それはひとたび静寂の中に佇めば、ふたたび私たちの心の中に浮かび上がってくるものではないでしょうか。

私たちは、そこから真の智恵と慈悲を湧き出させることができるのではないかと思います。

何教と何音楽とを問わず、自然の静寂に耳を傾けることの大切さに、改めて思いを致させられた次第です。

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2006/03/06

今年のテーマ

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自分にとって「今年のテーマ」は何だろう?と考えてみるといろいろありますが、ジャンルを仏教と音楽の二つに絞り、中でも特に大きなものを挙げれば以下の通りです。

チベット仏教(ダライラマ法王14世、来日)
早稲田大学仏教青年会(創立120周年)

モーツァルト(生誕250周年)
武満徹(没後10年)

さぁ、はりきっていこう。

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2006/01/23

ジョン・ケージ『4分33秒』全曲

貴重なページを発見!
ジョン・ケージの『4分33秒』をオーケストラで演奏した模様の一部始終が、オンラインで視聴できる。

そのページはここです。

マジで感動しました。素晴らしい。

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2005/12/17

TICKET CLASSIC

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クラシック音楽情報フリーマガジン「TICKET CLASSIC」をご存知でしょうか?
クラシック・ジャパンという、今年できたばかりの新しい会社( www.classic-japan.com )から、毎月15日に発行されてます。

本年10月号が創刊号だったので、最新2006年1月号で通巻4号という若い雑誌ですが、内容は充実しており、見た目もきれい。これで無料なのだからとっても便利、超お得!

入手できる場所は、コンサートホールやCD店のクラシック売り場など。
クラシック音楽関係のチラシやパンフレットなどの無料配布物と同じ扱いなので、ちょっと目立たないひっこんだ場所に置かれていることが多いかもしれませんが、関心ある方はぜひ手に取って見てください。そして気に入ったら、どうぞお持ち帰りください。

1月号は、アーノンクールの顔写真が表紙で、11月に来日した折の貴重なインタビューも本文に収録されており、ファン必見です。

今号は僕も、新宿文化センターのヴェルディ〈レクイエム〉公演(来年3月)の紹介記事を書いてます。

てなわけで、どうぞよろしく!なんたって、無料ですので…。

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2005/09/18

チベット系3姉妹、歌手デビュー

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チベット・メーリングリストリスト「リンカ」にご参加の方ならすでにご存知であろう。チベット系美人3姉妹が「Xuelian(日本語表記は「シュエリエン」、漢字表記は「雪蓮」)」というユニット名で歌手デビュー、アルバムも近日発売だそうな。

日本語公式ホームページは見当たらなかったが、ものかき業ぷれこさんのブログの中の「世界でいちばん早いXuelian情報」で最新の関連情報が読める。

ナハスマン、レオンスマン、カルスマンの3姉妹は、中国のチベット自治区生まれとのことだが、写真やデータを見ていると、何だかチベット人離れしているような気がしないでもない。どうも、伝統的なチベット舞台芸術団やチベット民族音楽家とは、少し路線が違うようだ。

セクシーなチベット風衣装(?)に身を包んだ魅惑的なルックスは、いかにもコマーシャリズムに乗りそうなもので、少なくとも僕は、こういう今どきの歌姫風チベット人女性を見るのは、これが初めてである(笑)。

それと、この3人の名前は、本名ではなく芸名ではなかろうか?「~マン」という名前は、インド人にはよくありそうな気がするが、チベット人にはあまりなさそうな気がする。ユニット名の「シュエリエン」自体、チベット語ではなく中国語だし。

10月末発売予定のアルバムを未聴なので、音楽的な面に関しては何ともいえないが、チベット民謡とJ-POPのコラボレーション的内容になるらしいことが、上記Xuelian情報のブログからは読み取れる。これって、「チベット系J-POP風歌姫ユニット」ってことになるのかな?

もちろん、チベット民族の血を引く彼女らには、チベット人ならではのタレントを発揮して、大きく世界にはばたいてもらいたいと僕も思う。だがその一方で、いろいろ複雑な気持ちがしないでもない。

(写真はリンク先のページからお借りしました)

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2005/03/25

日本作曲家選輯 黛敏郎

すでに店頭に並んでいる『日本作曲家選輯 黛敏郎』(NAXOS)のCDを聴いて久々に音楽への興味を新たにさせられた。

曲目は、『シンフォニック・ムード』(1950)(世界初録音)、バレエ音楽『舞楽』(1962)、『曼荼羅交響曲』(1960)、『ルンバ・ラプソディ』(1948)(世界初録音)。

黛敏郎の管弦楽作品の代表作といえば、まずはやはり『涅槃交響曲』が挙げられよう。仏教寺院の梵鐘の響きに霊感を得、その分析の研究成果が現代音楽の管弦楽法として結実している大曲だが、今回のCDに収録されている『曼荼羅交響曲』もまた黛の仏教への傾倒ぶりを窺わせるユニークな作品のひとつであり、「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」の二部構成になっていることから、日本の真言密教を題材にしていることは明らかである。

今回の新録音の指揮とオケは同シリーズで以前に出た『芥川也寸志』の時と同じ湯浅卓雄ニュージーランド交響楽団。これがまたまた素晴らしく、湯浅氏の力量が本物であることはもはや疑いようがない。

芥川也寸志と黛敏郎は、文化人としての政治的ポジションは正反対だったようだが、作曲家としての経歴においては密接な関係を持ち、また腕前も互角だったのではなかろうか。その意味でも前回の芥川と今回の黛は、まことに好対照のディスクである。

そういえば、芥川の『エローラ交響曲』も、黛の『涅槃交響曲』/『曼荼羅交響曲』も、インド建築や仏教美術を通じて感得された「東洋の思想」に傾倒し、内省し抜いた末に生み出された彼らの代表作であるという点において、共通性がある。

ところで先日、アダム・ゴーブ(Adam Gorb)作曲の『ヴァイマール(Weimar)』日本初演を指揮した松下功氏も黛敏郎の門下生だったという。

松下氏は今月13日に自作の交響曲『陀羅尼』を東京芸大にて演奏されたそうだが、漢字文化圏の仏教に作曲の主題を求める方向性は、やはり恩師の精神を継承するというか、黛門下出身の現役作曲家諸氏の間で今日なお共有されているものなのかもしれない。

※この記事の初出はmixi日記です。

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2005/01/02

坂本龍一『B-2 Unit』再発売

坂本龍一の過去のソロ・アルバムの中でも特に評価の高い『B-2 Unit』が新たにデジタル・リマスタリングを施され、再発売される。今年の3月発売予定とある。

このアルバム、なぜか長いこと廃盤になっていた。僕自身、どのレコード店、中古レコード店を探しても見つからなかった。それだけに今回の新盤は多くのファンにとって待望のもののひとつとなろう。旧盤と聴き比べる術は僕にはないが、音が良くなるのなら、待っていた甲斐もあるというものだ。

ちなみにオンラインCDショップのページを見ると、旧盤のタイトルは『B-2 UNIT』、新盤のタイトルは『B-2 Unit』と、アルファベットの表記が微妙に違う。が、特に深い意味はなさそうだ。あと、初回盤は紙ジャケだそうな。

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2004/11/29

作曲家マーラー(1860-1911)は本当に「分裂病的」だったのか?

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世間一般では、「作曲家マーラー(の作品)は分裂病的」と評されることが多い。もちろん精神医学的比喩として、そのような評し方が認容されているのだろうが、今日的見地からすれば、これは精神医学的比喩としても、不適切な評し方だと私には思われるのである。

昔の精神医学者クレッチュマー的に言うところの「分裂気質」と「分裂病」は全く別物(前者は正常人の性格のこと、後者は精神病のこと)だし、また「分裂気質」をキーワードにネットで検索してみたところ、精神科医・風野春樹氏による解説ページを発見したが、それを読むにつけても「分裂病的」というのはどうもマーラーには当てはまらないように思ったのだった。
http://homepage3.nifty.com/kazano/schizoid.html
↑から引用させていただくと、

――"schizoid"を日本語に訳せば「分裂病質」になります。なんだかいかにも分裂病と関係がありそうな用語なのだけれど、これは「社会的に孤立していて対人接触を好まず、感情の表出が乏しく、何事にも興味関心がないように見える」(あとで書くように、「ように見える」というところが重要)という性格特徴を表す言葉であって、分裂病とは違うものです。――

もちろん、マーラーが孤独な気質と複雑な思考の持ち主であったことは想像に難くないが、実際には、同時代の才能ある芸術家たちとの交流も盛んで、その人間性の強烈な印象は長く語り継がれるほどのものであったし、職業的にも、当代一級の指揮者として晩年まで欧米で大活躍しており、リハーサルで感情を露わにすることも多く、また読書家で好奇心旺盛な、その意味ではヴァイタリティに富んだ人間だったことは、当時の記録と後世の回想録、および現代の研究成果を見れば明らかであろう。そのユニークさゆえに人と衝突することが多く、孤独を好む面があったとしても、マーラーの人間像は風野氏の解説する「分裂病質」の定義に当てはまるとは到底考えられない。ましてや本当の分裂病者だったら、指揮者と作曲家を兼ねるような、多忙かつ創造的な音楽活動なんかできるはずがない。

マーラーの直接の死因となった病もまた、彼の性格と直接的な因果関係を持つと安易に考えられるものではなさそうだ。マーラーの死因をネットで調べてみたところ、「作曲家の頭痛」という興味深いページが見つかった。
http://homepage2.nifty.com/uoh/kyouyou/01ongakuka.htm
このページにによれば、彼の直接の命取りとなった病名は「心内膜炎」。たしかに彼はその後半生、心臓を患っていた。しかしその病に罹りはじめた時期は、苦悩にみちた晩年より前の、音楽家として順風満帆であり、妻アルマとの関係もまだ悪化していなかった頃ではなかったか。また、情報源は未確認だが、その病はペニシリンがあともう少し早く発見されていたら、治療可能なものだったと聞いたことがある。

さらに上のページによれば、持病として頭痛もあって、アスピリンを服用していたそうだが、それもまた彼が精神を病んでいたことの直接の証明とはならないであろう。精神を病んでいると否とに関わらず、頭痛に襲われるくらいのことならば、誰しも起こり得ることではないか。

ちなみに指揮者の仕事の多忙に伴う過労と、妻との関係悪化の問題が山積して神経衰弱気味だった頃、マーラーはフロイトの診察を受けている。フロイトの精神分析によれば、アルマとの関係悪化は夫グスタフのマザーコンプレックスに起因するということであり、それについてはグスタフも認めたそうである。

アルマの書いた回想録を読むと、夫グスタフは才女アルマと結婚するに当たっては、彼女が作曲することを禁じたり、また自分が作曲している間は妻子が少しでも音を立てることを禁じた、神経質な暴君的夫だったことがわかる。したがって、アルマが別の芸術家と浮気したのも、ある面では止むを得ざる結果だったのかもしれない。その浮気には、夫から妻への理不尽で限度を超えた厳しい要求に対する妻からの反発としての側面もあったのではなかろうか。(註)

だが、フロイトの分析を受け入れた後のグスタフは、アルマの作品を誉めたり、交響曲第8番を彼女に捧げたり、また晩年は子供と戯れながらでも作曲できるようになるなどの変化はあったようだ。

要するに、ここで私が結論として言いたいのは、マーラーは孤独でシニカルで気難しく、頭痛持ちで最期は心臓を患い世を去るという世紀末的な暗い気質と不幸とを背負いながらも、同時に並外れたヴァイタリティと創造性に恵まれ活躍し続けた大指揮者であり、作曲家であった以上は、神経衰弱に陥りフロイトに診察を受けた一時期を別にすれば、俗に言われるようなノイローゼ患者や精神病患者などでは断じてなかったはずだ、ということである。

これまで自分の中で病的に歪められてきた通俗的なマーラー像を訂正すると同時に、現代精神医学の研究成果に依拠することで、偏見を排した、より的確な人間理解への道を拓いていきたいものである。

(註)ここまで書き進めた時点で、国内最大級のマーラー専門サイト「ぐすたふ・ま~ら~の部屋」内に、アルマの書いたマーラー回想録に対して第三者の立場から客観的になされた批判の書を紹介したページがあることに気づいた(以下)。
アルマの実像
アルマの不倫
私はアルマの書いた回想録を昔から愛読してきたので、アルマの不倫についてはこれまでアルマ寄りの見解を支持していたが、上記のアルマに詳しい文章を読むと、どうやらアルマの側にも問題があったらしいことが指摘されており、興味深い。私のアルマ理解には、現代の研究成果に関する知識が不足していたようである。

とはいえ、グスタフの側に問題があったこともやはり事実だろう。それについては以下のページをも参考にしていただきたい。
フロイトの診断

☆参考サイト
新・サイコドクターあばれ旅
頭痛大学
☆参考文献
アルマ・マーラー「グスタフ・マーラー : 愛と苦悩の回想」石井宏訳、中公文庫、1987年
船山隆「マーラー」新潮文庫、1987年

※この記事は、ソーシャル・ネットワーキング・サイト「mixi」のコミュニティー「マーラー」に投稿した文章をもとに作成したものです。

 

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2004/11/28

マーラーの『復活』世界初録音を聴こう!

 先に紹介させていただいたSPレコードに関する素晴らしいサイト「昔のレコードを聴こう!」がサイト移転されたようです。新しいURLは、
 http://www.sound78rpm.jp/
 サイト移転を記念して、なんとオスカー・フリート指揮によるマーラーの交響曲第2番『復活』全曲の音源が公開され、聴けるようになっています。
 これはマーラーの『復活』全曲の歴史的なアコースティック録音として知られているもので、録音年代は、なんと1923年頃!既に同一音源をNAXOSレーベルが復刻、歌曲とのカップリングでCD化、廉価で発売しているとはいえ(ナクソス・ヒストリカル8.110152-53)、一般のファンにとっては、なかなか買ってまでして聴く勇気は出ないしろものではないでしょうか。私もその一人でした。それだけに、これをオンライン上で一般公開されたBee-yan'g様にまたもや感謝、感謝です。
 さて、耳を傾けてみましょう。彼方から聴こえてくるような小さな音、スピーカーのヴォリュームをあげなければなりませんでしたが、そこに奏でられているのは紛れもなくマーラーの『復活』でした。その頃の大管弦楽曲の演奏の特徴も分かります。
 私たち若い世代の人間が、古い録音を耳にするときの常として、初めて聴くときはその音の貧しさにがっかりし、聴き通す気を一瞬失いかねませんが、そこで終わってしまうのは実はもったいないことなのです。しばし音の前に立ち止まり、自然体で耳を傾け続けていると、不思議なことに、結構聴けるようになってきます。集中できない場合は、ながら聴きでもいいからとにかく聴き通してみることが大切なのではないでしょうか。音の臨場感が、音楽の情感が、時の経過とともにじわじわと伝わってくるのです。雑音でなく、楽音を聴いている自分を発見することができるのです。こうしたプロセスを経て得られた音楽体験には、生の演奏会の音によるのとも、ステレオやデジタル録音のゴージャスな音によるのとも質の違う、特殊な感銘が存するような気がします。なにしろ「ヒストリカル録音」というのは現代人にとってはかなり特殊なものです。その音に自分が適応する努力というか、こちらからあちらへ草をかきわけ歩み寄り、耳を傾けなければ内容が分からないわけですから、それに伴い聴取の姿勢が普段とは違うものになる。それに従って音楽体験の質も違ってくるのかもしれませんね。

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2004/04/07

嗚呼、感動!!SPに「耳をすませば」

 Web上でSPレコードの音が聴けるサイトは日本語だけでもけっこうある。便利な時代というか、ヒストリカル・ファンにとっては嬉しい限りである。既成の音源の一般公開というと、著作権や著作隣接権の問題がすぐに頭に浮かぶが、ヒストリカル録音は、ものによっては百年近く昔まで遡る世界である。歴史的資料としての価値を持つだけに、こうしたサイトの公開は出来る限り認容されて欲しいものだ。
まず、「SPレコードコレクターネット協会」は、SPレコードのサイトへの豊富なリンク集となっている。
 次に、「蓄音機で聞くSPレコード鑑賞会」では、『SPレコードが出来るまで』という貴重な白黒映画を視聴することができる。ファンにとっては夢のような世界に浸らせてくれるあのSPの金属原盤が制作される現場から取材したものだから、この映画自体、見ていてうきうきしてくる。
昔のレコードを聴こう!」では、いよいよSPの音をオンラインで聴くことができる。特筆すべきはミッシャ・エルマン(ヴァイオリニスト)の戦前録音である。ドヴォルザークの「ユモレスク」やサラサーテの「チゴイネルワイゼン」などは、雰囲気たっぷり、ロマンティシズムの真骨頂。音と表現の豊かさは、現代の演奏家には求められないものがあるのではないか(演奏様式自体が時代がかっているので、今どきこんな演奏をしても認められないかもしれないのだ)。このサイトでは、他にも近衛秀麻呂指揮新交響楽団、ストコフスキー、メンゲルベルク、浅草オペラ、ポピュラー音楽などの音源を聴くことができる。なんともありがたいサイトである。
 次は「なんてったってストコフスキー」。標題のストコフスキーのSP録音がたくさん聴けるほか、メンゲルベルク、トスカニーニ、ロジンスキー、近衛、エルマンも聴ける。
マルセル・モイーズ研究室」では、フルートの神様マルセル・モイーズのSP録音がたくさん聴けるほか、オーケストラ、室内楽、声楽の各ジャンルにわたる貴重な音源が公開されている。
78rpm」では、ジャズ、クラシック、日本の流行歌、その他が聴ける。
 SPの世界は、戦前の演奏様式や、伝説的演奏家の全盛期を聴けるだけではなく、その時代の雰囲気にどっぷり浸かることができるのが最大の魅力である。この貴重な文化遺産を愛し、保存する人たちが集い、「SPレコードを聴く会」を各地で催しているとのことである。録音・再生技術の飛躍的に進歩した今日のCDやDVDばかりが、新鮮な音楽体験を与えてくれるメディアではないことを証明しているといえる。

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2004/03/26

TAHRAのフルトヴェングラー豪華4枚組CD

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フルトヴェングラーの豪華ブックレット仕様のCD4枚組(TAHRA FURT1054/7)がやっと再入荷したので入手できた。ハードカバーの洋書みたいな縦長なので、CDラックに入れられない。仕方がないので本棚のクラシック音楽関係のコーナーに置く。
ベルリン・フィルとのベートーヴェンは晩年の演奏である。戦時中のような熾烈さよりは、もっと大人しい深沈たる趣。フィルハーモニア管との「第9」は、以前CD1枚で出ていたのと同一音源だが、終楽章に一箇所あった歪みが、今回は修正されているのが嬉しい。
巨匠晩年の記録だけに、驚嘆の表現に一発でノックアウトというよりは、何度も聴きかえして深みを味わってみたい気にさせられる演奏である。

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2004/03/11

坂本龍一「CHASM」発売

坂本龍一のポップス・アルバムとしては9年ぶりの新作『CHASM』が2月25日、日本先行発売された。

ワーナーの坂本龍一ホームページでは新曲の冒頭が聴けるだけでなく、各種コンテンツが揃っている。しかし、坂本氏のオフィシャルサイトwhat's newのページにはこう記されている。
「CHASM Released 2.25
(中略)
The Worldwide Release on May 25th will contain additional bonus material.(後略)」
つまり、5月25日の海外盤には、現在発売中の国内盤の内容に加えてボーナストラックが入る予定ということである。だとすれば、このアルバムをこれから買おうと思っている人は、5月まで待って輸入盤を入手する方が得かも。

ところで、このページ(artists' power)も坂本氏を中心とするミュージシャンたちのプロジェクトらしいが、とにかくウェブサイトとして相当手のこんだ技術で構築されており、見る者に強く訴えるかける内容になっている。

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2004/02/21

松平敬バリトンリサイタル

 声楽家でTrans Weblogの制作者でもある松平敬さんが、今年4月にバリトンリサイタルを開かれる。

プログラムは、以下の通り。

 ベリオ:セクエンツァIII
 湯浅譲二:天気予報所見
 シュトックハウゼン:ティアクライス
 川島素晴:3つのインヴェンション(委嘱初演)
 クセナキス:カッサンドラ

 打楽器:神田佳子
 トランペット:曽我部清典

 2004年4月23日(金)19時開演
 北とぴあつつじホール(王子駅から徒歩2分)

 今日、このリサイタルの詳細情報が公開された。ここから見られます
 期待のリサイタルです。

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2004/01/28

MIDI&MP3によるクラシック音楽

 MIDIやMP3の形式で、編曲されたクラシック音楽をオンラインで聴けるホームページはたくさんある。かなり昔から存在するのは海外サイトのCLASSICAL MUSIC ARCHIVES、ここは老舗といえるだろう。
 国内では、THE DESKTOP SYMPHONY ORCHESTRAMIDIオーケストラの世界は秀逸だと思う。もちろん、他にも優れた作品を公開しているサイトはたくさんあるに違いない。
 また、Nasu Fantasyは冨田勲に傾倒されている方が制作されているらしく、凝りに凝っている。
 馴染み深いクラシック音楽も、こうして電子音楽化されたものをネットで聴かされるとまた新鮮な面白さがある。

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2004/01/25

ニキシュとベルリン・フィル

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 元祖爆演指揮者フルトヴェングラーの前代にベルリン・フィルの指揮者を務めていたアルトゥール・ニキシュと、当時のベルリン・フィルの面々が、ベートーヴェンの第5交響曲を録音する際に撮影されたと言われる集合写真である。当時流行の髭をたくわえた男たちの顔を見ての通り、ひとりひとりが誇り高き芸術家の集まりだったはずだ。
 ニキシュの指揮は、近代的な合理性に貫かれた指揮法の確立者とも評される、洗練されたものだったらしい。ニキシュの後任フルトヴェングラーが、「偉大なる素人」と揶揄されることもあるほどの爆発的表現力を売り物としていたのと、ニキシュの洗練された(と言い伝えられる)指揮ぶりは、意外に対照的なものだったのかもしれない。
 マーラーやトスカニーニが、楽団員に対して威圧的で罵倒することも辞さない厳しい指揮者だったのに対して、ニキシュ、そしてワルターは、終始柔らかく、温和にオーケストラをまとめ上げ、結果としてはニキシュならでは、ワルターならではの音楽を彼らから自発的に引き出してしまう、類稀れな能力の持ち主だったという。
 ところが更にフルトヴェングラーは、威圧的とか温和とかいう次元を超越したある種崇高な雰囲気のリハーサルをしていたというのだから、やはり20世紀最大の指揮者と言われるだけのものはあるのかもしれないが、そのフルトヴェングラーが最も多くのものを学び、心酔していたという指揮者が他ならぬニキシュだったのである。
 今日のわれわれはニキシュの芸術をほとんど想像の世界でしか思い描く事ができない。しかし、彼がどんな男で、どんな芸術家だったのかということを、現代のわれわれに残された僅かな記録から、推測することを試みる価値は、今なお充分にあると思われるのである。

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2004/01/20

【警告】あなたのCD、腐っていませんか?【緊急】

 或るクラシック音楽のホームページに出ていた記事です。今さっき読んで、CDコレクター必読の情報と思われましたのでここにリンクを張ります。
「セット物CDが危ない!!」
 2枚以上収容できるCDケース、最近は折りたたみ式で薄型のものも出てきましたが、現在でも分厚い2層構造になったものは中古屋でも新品屋でもしばしば目にしますよね。
 このタイプのCDケースの中には、クッションとしてスポンジが入っているものがあります。これが危ないのです。
 長い間放置しておくと、スポンジが自然と腐食し、それとともにスポンジに接触しているCDのラベル面にスポンジが付着し、しかも一緒に腐食している場合があります。詳しくは上記のリンク先の記事をご参照ください。
 さて、私が最近購入した盤のうち上記の型のCDケースを使用しているものは、流行の廉価盤として購入したせいもあってか、スポンジの入っているものは割合少なかったです。
 それでも、国内盤のヴァント/NDR響の最後のブラームス交響曲全集(RCA)や、輸入盤のバーンスタイン/NYPのマーラー第2(DG)などにはスポンジが入っておりました。幸い上記2点に関してはスポンジの腐食も始まっておらず、急いで取り除いて盤の安全を確認し、安堵しましたが、数年前に中古屋で購入したラサール弦楽四重奏団のベートーヴェン後期弦楽四重奏曲集の3枚組みのケースに入っていたスポンジは、品物の発売年が古いせいもあってか、警告通り腐食が始まってラベルに付着しかけており、CDからスポンジを剥がす際に少しペリペリいいながらも何とか剥がれましたが、CDにはその小さな痕跡が、「あばた」のように点々と残ってしまいました。とはいえこれも比較的早期の発見だったため、アルミ蒸着面までの腐食は進んでおらず、そのため盤面には穴も開かず剥がれもなかったので、CDデッキにかけても音楽はちゃんと鳴ると思いますが、やはり何とも不快でした。
 この通り、CD所有数約750枚程度の私でも、たとえ一件だけとはいえ、実際に被害に遭いましたので、かなりの数のCD、それも古い分厚い2枚組みのケースにスポンジが入れてあるタイプのCDセットをたくさんお持ちの方は、要、要、要注意です!
 上記のリンク先の記事が書かれたのは「2001.3.13」となっていますので、へビーユーザーの方の間には既に知れ渡っている常識かもしれませんが、CDを買い集めはじめて既に12~3年が経過している私が初めて知ったくらいですから、案外行き渡ってないかもしれないこの情報。あなたのCDも例外ではないかもしれません。初めてこの情報を耳にされた方は、即、ご自分のコレクションの検査をされることをおすすめします!!

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2004/01/11

sitesakamotoで聴ける音楽

既に昨年の8月から公開されているので、「教授」通にとっては古い情報になると思うが、坂本龍一氏のオフィシャルサイトで、坂本氏と彼の仲間たちによる新しい音楽「chain-music」が聴ける。
現在、9分30秒ほどの曲である。ブロードバンド環境でないとダウンロードにちょっと時間がかかりそうだが、これは興味深い企画だ。いろんなアーティストたちの音源を坂本氏が編集しているものらしいが、なんでもイラク戦争開始直後から始められており、公開後も参加アーティストは連鎖的に増え続け、曲も変化していく予定(だった)らしい(参照記事://)。

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2003/12/28

貴重な写真

greatconductors_blog

 左からワルター、トスカニーニ、クライバー、クレンペラー、フルトヴェングラー。往年の大指揮者たちが1929年のベルリン音楽祭に出演した際、撮影された歴史的な集合写真。
 この頃はまだトスカニーニとフルトヴェングラーも友好関係にあったはずだが、ナチス・ドイツが台頭するにつれて、「ナチ政権下で指揮する奴は皆ナチだ」と言い放ちアメリカへ亡命したトスカニーニと、「どんな状況下にあっても音楽の純粋さは不変である」ことを信じ、ドイツの敗戦そしてナチスから命が狙われるギリギリまでドイツ音楽のため、ドイツ人のためにベルリンにとどまり続けたフルトヴェングラーは、ついに戦後も和解することはなかった。そのような対照的関係にあった二大指揮者が同じ写真の中に収まっているという意味でもこれは貴重な写真なのである。

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