2009/11/03

マイコーの映画。

『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』を観てきた。

マイコー最後の公演に向けて世界一流のスタッフたちが集結するさまが感動的に描かれていた。

僕はポップス音楽のことはよくわからないが、マイコーがクインシー・ジョーンズと組んでたころの楽曲は特に好きだ。そして彼のダンスが特別なのは、パントマイムの要素を取り入れていたからだと思う。

――ムーンウォークの着想はマルセル・マルソーのパントマイムとハーレムのダンスから 国際ニュース AFPBB News
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2615619/4310120

それから、彼には人類愛や環境問題をテーマに取り組んだ仕事があり、平和主義者としての一面があるのであるが、それがあの奇抜な舞台や、さまざまなスキャンダルの陰に隠れているところがあるんではないかと思う。

Wikipediaによれば、彼はノーベル平和賞にノミネートされたことがあるそうだが、半分冗談かと思った。ちんこを押さえてポーとかやってる姿と、世界平和のために活動する姿との間にはギャップがあるのではないか。

とにかく、リオタールが指摘したように、彼はいろんな意味において両義的な存在であった。

今回のこの映画は、彼のファンのために製作されたもののはずだが、それを観に行った僕自身は、マイコーのファンなのか、単なる傍観者にすぎないのか、いまだよくわからないでいるのである。

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2009/08/25

稲垣早希、『破』を語る

Cf2188b9

僕も『破』は2回観に行きました。このアニメ、昔はどうしても見る気になれなかったのですが、2年前の『序』公開がきっかけで全部通して見たら、はまってしまいました。

『スター・ウォーズ』がすっかり過去のものとなってしまった現在、次回作が気になる映画と言えば、これぐらいなものです。

そんな僕が最近お気に入りのタレントは、お笑いコンビ「桜」の稲垣早希です。
そもそもこういう物真似のうまい人です。

こんなパロディーにも出演してます。何を隠そう、僕はパロディーが大好きなんです。

パロディーで飯が食っていけたらいいなあと思う今日この頃です。

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2008/10/18

坂本龍一がナウシカをアレンジ?

と言ってもイメージソングであるが、このアレンジはいいな。

↓Ryuichi Sakamoto + Takako Minekawa - Hosono Tribute

・ナウシカのイメージソングは細野晴臣作曲。
・細野晴臣の過去の楽曲で、坂本龍一がお気に入りなのは『風の谷のナウシカ』。
・映画『風の谷のナウシカ』の音楽は、最初は細野晴臣が手がける予定だったが、宮崎監督の意向で久石譲に変更された。
・坂本龍一がジブリ美術館を訪れたという記事をどこかで読んだ記憶がある。
・久石譲の音楽性と宮崎駿の作家性は、基本的に生命肯定的で、自然のものや、美しいものへの憧れを包み隠すことなく表出するところなど、多くの共通点がある。久石譲とは対照的に内省的な音楽性の持ち主である坂本龍一が宮崎アニメの曲を書いたらどうなるであろうか。なんとなくミスマッチになりそうな気が…。

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2008/10/14

な、ナウシカ…。

自分でもなぜだかよくわかりませんが、最近『風の谷のナウシカ』のサントラにはまっています。あの悲壮で不条理な感覚がたまらなくいい!

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2008/09/06

【金曜ロードショー】かっこいいOPテーマ曲【謎の男】

金曜ロードショーのオープニングテーマ曲は、久石譲が作曲した今のものも悪くはないが、あまり耳に残らない。

耳に残るオープニングテーマ曲と言えば、やはり旧バージョンのこれだ。

Wikipediaによれば、ピエール・ポルト&ヒズ・オーケストラ、「フライデー・ナイト・ファンタジー」という曲らしい。

夕日の海辺に向かって佇むメガネの男が誰なのかということについては、諸説あるようだが、僕に言わせればこれはどう見ても藤子不二雄の漫画によく出てくる「小池さん」である。

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2007/07/26

野良犬

映画というものから、近年まれに見る深き感動を得た。

黒澤明の映画は、脚本も映像も練り方が半端ではない。特に脚本の素晴らしさ。今日、どんなに映像表現の技術が進歩しても、肝心の脚本がなってなければ、映画というのは虚しいものだということを改めて思い知らされた。また音楽(劇中音含む)の効果はすばらしく、ドラマと完全にシンクロしている。そして監督の芸術的意欲に喰らい付いていく俳優たちのすごさ。特に主人公の新米刑事(三船敏郎)がしだいしだいに追い詰められてゆく心理描写のおそろしさはまさに「迫真」であり、三船/黒澤の真骨頂と言える名演技・名演出である。

主人公が犯人と格闘するクライマックスのシーンにおける、不釣合いに美しい田園風景に響く、若い娘のピアノと児童たちの合唱。これは戦争を経験した男たちの悲壮な闘いと、希望あふれる平和と未来の象徴の見事な対比であり、正義漢と犯罪者のたどる人生の相似と相違を、極限の悲哀と美をもって描き出した比類なき表現だ。これぞ映画の極致であり、この卓越性を芸術と呼ばずして何と呼ぶのだろう?

黒澤明といえばまず時代劇が思い浮かぶかもしれないが、現代劇においても不朽の名作を数多く世に送り出している。実はうかつにもそのことに気がつかないでいた私だが、この作品を観て完全に目が覚めた。『野良犬』は、『第三の男』に比肩するか、それを上回り映画史上に燦然と輝く傑作と言ってよい!

ただ、録音が古いので、台詞が少々聞き取りづらいのが難点だが、それでも一度目で話は充分理解できた。この問題に当たっては、日本映画だが、日本語字幕をつけながら観るというのもひとつの手かもしれない。日本人なのに変と思われるかもしれないが、製作年が古い(1949年)ので仕方がない。それに昔の俳優は、今の俳優と比べて、発声法や喋る速度が違うのではないかと思われるふしもある。

なお、このレビューは、2ch映画板の黒澤明スレッドに、私自身が投稿した文章を大幅に書き改めたものである。

※この記事の初出はmixiレビューです。

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THX-1138

ジョージ・ルーカスは本来、シャイで前衛的な映像作家だった。後年、エンターテイナーに転身し、30年間『STAR WARS』を作るはめになってしまったのも、このデビュー作『THX-1138』が抽象的で難解な前衛作品だったため、一般にはほとんど受け入れられず、興行面で大失敗し、危うく監督生命を失いかけるほどの痛手を被ったという経験あってのことだったのかもしれない。

さて、『THX-1138』は、キューブリックの『2001年宇宙の旅』、タルコフスキーの『惑星ソラリス』『ストーカー』などに比肩する、シリアスなSF映画の古典的傑作である。

今や誰もが知っているあのジョージ・ルーカスの作品であることの証は、ここですでにあちこちに刻印されている。だが、アメリカの60年代末に端を発して、グローバル化された現代にまで至る、社会と人間の本質に関する深刻な問題を、架空の未来世界の描写を通して鋭く衝く手腕は、エンターテイナーというよりは、芸術家か科学者のそれを思わせる。

南カリフォルニア大学で文化人類学を学び、映画学科を首席で卒業したルーカスが、天才映画監督として本来たどるべきはずだった道と、世紀のエンターテイナーとしてたどる運命になってしまった道の両方の、凝縮した原風景がここに示されているのであり、この新しいディレクターズ・カットエディションは、その忘れられかけた原風景を、最上のクオリティーで現在に蘇らせることに成功している。

音楽や音響効果も凝りに凝っており、ペルゴレージの『スターバト・マーテル』という宗教曲のテープを逆回転させてサウンドトラックに使用したり、またガラスを何枚か隔てた会話を表現するためには、スティーブ・ライヒのミニマル・ミュージックにヒントを得、新しい技術を開発したりしていたという。もっともそのへんに関しては、もっぱら音響のウォルター・マーチの功績である。

ハッピーエンドともバッドエンドともつかない象徴的なラストシーンでは、J.S.バッハの『マタイ受難曲』第1曲がシンセサイザーで演奏される。

エンターテイナーとしてのルーカスしか知らない者にとっては、まさに衝撃的な一品となろう。

※この記事の初出はmixiレビューです。

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2007/05/19

アホリックス

映画『マトリックス』のパロディー映画だって。

予告篇しか見てないから分からないけど、うーん僕としては、『マトリックス』そのものが偉大なるアホ作品(いい意味で)だと思うので、今更こんなパロディー作っても日本人に受けないんじゃないだろうか。

少林サッカー』とかの方が面白いんじゃなかろうか。

ちなみに『スターウォーズ』をパクった作品として、インド映画『アーリャマーン』がある。こっちはパロディーというよりはパチもんの類で、インド人の真剣さがうかがえるだけ、かえって笑い度が増すのだ(と思う。未見なので)。

…こんな日記を書いたのも、今日やっと『マトリックス レボリューションズ』を観たからだ。これで三部作完結。個人的には、ミフネ隊長の闘魂に萌えた(嘘)。映画はやっぱり日本人が出るとビシッとするね(嘘)!

※この記事の初出はmixi日記です。

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2006/03/25

ひさびさのSTAR WARS ネタ

Ryan vs Dorkman - Google Video

STAR WARS ファンが作ったこの手の映像の中では近年出色のできばえらしいです。

いかに本物っぽく見せるかという点では、振付がものをいうと思うのですが、これにはさすがの私も呆れてしまいました。

より高画質の動画をダウンロードしたい方はこちらから。

ところで STAR WARS といえば、春秋社から『スター・ウォーズで「仏教入門」ですか』という娯楽本(?)が出ています。

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2005/01/04

スターウォーズ

SW_ep1_01

何を隠そう、私は映画『スターウォーズ』が大好きである。
特に超能力「フォース」と光剣「ライトセーバー」を駆使して銀河系の秩序を守る平和の騎士「ジェダイ」の宿命について思いを馳せずにはいられない。

ジェダイは何者をも憎んではいけない。そして、愛してもいけない、といわれている。
愛憎の世界に足を踏み入れた瞬間、ジェダイとしての均衡の取れた意識は乱れ始める。その時、フォースの暗黒面はすぐ側まで近づいているのだ。だからジェダイは本来、独身であることを定められている。

さて現実生活者としての私は俗人であるから、愛も憎しみも人並みに持っていると思う。
しかし、憎しみを克服することよりも、愛を克服することの方が難しいのかもしれない、とも思う。
人間の本質は、やはり憎しみではなく愛なのではなかろうか。

人間は本来、憎しみの力よりも愛の力の方が強いのだ。しかし愛に溺れることによって、心の堅固さを失えば、ますます憎しみに飲み込まれる自分をどうすることもできなくなってしまうであろう。それこそが人間の悲劇なのだ。ジェダイが理想とするように、憎しみだけでなく愛をも克服するというのは、並大抵のことではないのである。

『スターウォーズ』新三部作(エピソード1)の主人公アナキン(のちのダース・ヴェーダー)は恋人パドメ(アミダラ女王)を深く愛してしまったがゆえに、ジェダイの戒律を守り通すことはできなかった。二人は結婚し、パドメは二人の子供を産む(これが旧三部作[エピソード4]の主人公ルークレイアである)。

アナキンは母を愛し、妻を愛した。誰よりも深く愛したがゆえに、同時にジェダイの掟を破ってしまうことにもなった結果、憎しみの世界に果てしなくひきずりこまれて行き、ついにはフォースの暗黒面に身を委ね、ダーク・ジェダイとなり果てる。そのプロセスを描いた悲しいストーリーは、ぜひとも映画館やDVDでご覧いただきたい。今年の『エピソード3』の公開が待たれる。

注目すべきは、「悲劇」としての『スターウォーズ』の本質がここに明かされていることである。新三部作によって、『スターウォーズ』の物語の本質としての悲劇性が浮き彫りにされたのである。旧三部作はハッピーエンドのエンターテイメント作品の印象が残るものだったが、旧三部作世界のメタ世界としての新三部作は、エンターテイメントの要素を一層豪華に盛り込みながらも、物語としてはより複雑であり、最後には悲劇的結末を迎えることが予想されている(これが今年公開予定の『エピソード3』のいちばんのみどころなのだ)。

しかし、実はその悲劇性こそが、作品全体のいわば「前奏曲」や「通奏低音」となって、この長い物語に普遍的な深みを与えているのではなかろうか。そしてそれがSF的な夢と冒険の広がりを兼ね備えた娯楽超大作として成立することによって、現在のような世界的な人気を得ることができたのであろう。 『スターウォーズ』の物語の普遍性は神話学からヒントを得たものといわれるが、神話と呼ばれるものの多くが悲劇性に彩られたものであることを忘れてはならない。

人間にとって普遍的なモチーフと、最新の娯楽の要素を絶妙に融合させることに成功した映画は、芸術面と興行面、両方での成果を収め得る。商業主義的な娯楽映画を素直に楽しめないことの方が多い私でも、そういう意味での優れた「悲劇的娯楽映画」を楽しむことにかけては、けっこう素直だったりするのである。

☆参考サイト(情報感謝!)
STAR WARS OFFICIAL SITE
スター・ウォーズの鉄人!
www@mmy STAR WARS JEDI SPIRITS JAPAN

※この記事は、ソーシャル・ネットワーキング・サイト「mixi」の自分の日記へのコメントとして投稿した文章をもとに作成したものです。

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