2008/09/18

シレジウス瞑想詩集(岩波文庫)より

 第五章

   84 ただ一つのことのみを知っている者が称賛に値する。
多くを知ると人は高慢になるものだ。だからただ一つのこと、十字架にかけられたキリストを自分の心の中に知っている人を、わたしは称賛する。

   85 何も知らない者こそ安らかである。
学問の木から何も食べていなかったら、アダムは楽園で永遠の安らぎに満たされていただろう。

   86 被造物の中の創造主。
創造は一冊の書物である。これを慎重に読むことのできる者には、この書物の中に創造主が見事に語られている。

   87 最も善い書物はただ一冊。
多くの書物は多くの重荷になる。一冊の本を正しく読む人は(わたしはわがイエス・キリストを読む)永遠に救われる。

 

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2007/08/19

東洋と西洋――「霊性」のゆくえ

「カルマ」とか、「気」とか、現代科学や西洋哲学ではほとんど認められていないが、人間としてそういった東洋的な形而上学を感じる瞬間というものがある。

そういうものを、今流行のスピリチュアリズムでもなければ疑似科学でもない、確固たる宗教的伝統の中に位置づけて、自分の中で体系化したいものである。

東アジアや南アジア、東南アジアにはそういう偉大な宗教的伝統が今もあって、現地の人々はそれを当たり前のものとして生きているのだが、西洋化の進んだ多くの日本人にとっては、そうした伝統さえ遠い世界のように感じられてしまう。

しかし私たちは東洋人なのだから、東洋的伝統に対して、西洋人よりは近い場所にいるはずだし、それを素直に受け容れようと思えばけっこう受け容れられるのではないかと思う(日本人でありつつ西洋の思考に徹したいという信念を持っている人は別として)。

西洋近代の神秘主義や、流行のスピリチュアリズムは、西洋近代の知識人や現代大衆文化の消費者にとっては、あるいは必要なものだったかもしれないが、純粋に霊性的なるものへの気付きにとっては、本来迂回路にすぎないものだ。

現代思想と精神世界を連結させようとするのもあまり好きではない。西洋哲学は西洋哲学それ自体として、東洋哲学は東洋哲学それ自体として、それぞれの内部から純粋に湧き出ずるものによってそれぞれに旧い殻を打ち破り、究極点を目指すための新たな地平を切り拓いてゆくべきだと思う。

それは、両者が全く協力するなと言っているわけではなく、通俗的な方法論によって安易に結びつくべきではないと言っているのだ。

そして「霊性への迂回路」としての精神世界は、たまに「その道の初心者」が「気付き」を得るきっかけとなることもあるかもしれないが(恥ずかしながら私もそうであった)、あとはやはり大衆文化の中の特殊な一分野が消費される市場として機能し続けるにすぎないと思う。

※この記事はmixi日記に付けたコメントをもとに作成しました。

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2006/05/23

自然が語りかけるもの

自然の静寂が語りかけるものに耳をすますこと、そこからほんとうの思想や音楽が生まれてくるのかもしれません。

恩師、I先生の記事を読みながら、仏典の風景が思い浮かんできました。と同時に、自然や小鳥たちと交流した20世紀の作曲家たちのことを思い出しました。

西洋ににもまた、自然界の響きと交流する能力を有した作曲家たちがおりました。ベートーヴェンが交響曲第6番《田園》を作曲した際のエピソードは有名ですが、20世紀フランスにはオリヴィエ・メシアンという大作曲家が出ました。

彼の業績の中でも有名かつ特筆すべきは、世界各地の小鳥たちの声を採譜し、それにもとづいた作曲を行ったことです。現代音楽の理論にもとづいた前衛的作風ながら、小鳥たちのさえずりに彩られたその音楽は、カトリックだった彼の宗教性を反映しながら、自然界の響きが木霊し、幻想とモダニズムが共存する独特な魅力を有していますが、それはロマン主義的過剰さと論理実証主義的厳格さとを、包括しながら超越する、静寂の世界だったのです。

メシアンが日本を訪れた際、或る場所で彼のピアノ演奏を披露する機会があった。彼が弾き始めてしばらくすると、その音に共鳴した小鳥たちが窓際に降りてきた、という伝説すら残っています。

軽井沢を訪れたメシアンは、日本の小鳥たちの声に熱心に耳を傾けていました。彼は「音楽がもたらす平和」を信じていたようですが、ここでの「音楽」とは狭義のクラシック音楽現代音楽のことのみを指すとは私は思いません。またインド音楽や雅楽をも研究した彼は、カトリックの作曲家といっても、狭い了見の持ち主ではなかったはず。

こんにち、都会の喧騒や森林の伐採などに踏みにじられ、埋もれてしまいがちな自然の「」ですが、それはひとたび静寂の中に佇めば、ふたたび私たちの心の中に浮かび上がってくるものではないでしょうか。

私たちは、そこから真の智恵と慈悲を湧き出させることができるのではないかと思います。

何教と何音楽とを問わず、自然の静寂に耳を傾けることの大切さに、改めて思いを致させられた次第です。

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